経験は最大の教師なり

「経験は最大の教師なり」

このことばはヘーゲルの言葉で、 ぼくが小さいころから家庭で言われていた言葉だった。
ちなみに、デューイは、「為すことによって学ぶ」 という表現を使った。

なぜ経験が最大の教師なのか。

ぼくの解釈では、人は自分の経験から決して 逃げることができないからだ、
となる。 親の教え、先生の指導、教科書、会社の上司などから 逃げる方法はいくらでもある。 しかし、自分が一度経験してしまったことからは逃避できない。
したがって、多くのさまざまな経験を積むということは、 最大の教師が自分の中に常駐しているようなもので、 心強い。

ところが、経験は確かに最大の教師ではあるが、 あくまでも「最大」なだけであって、最良、 最高とは限らない。 そうすると、経験だけでは不十分で、経験以外の何かからも 意識的に学習しないと、経験を最大かつ最良の教師に ならしめることは難しい。

経営者の多くは経験則で経営をするが、経験則だけでは 不十分で自分の中に経験以外の教師を保持するために、 自ら教えたり、教えられたりする環境を保持しないと、最良、 最高の域に達することはできないのだろう。

結局のところ、
経営者とは教育(能力開発)者でなければ ならないのかもしれない。