2009年12月22日記
中学2年生のころ、
ラオさんから中国語を週2回の頻度で
学び始めた。
日常会話の読み、書きには数ヶ月で何とか
慣れてきたが、話すのはたいへんだった。
発音がたいへん難しく、一つの単語を何十回と
発音しても、ラオさんからOKをもらえなかった。
発音練習でふらふらになってきたこともあって、
気晴らしに英語も同時に学びましょうという
ことになった。
英語は、中国語と比較したら、文字は26文字
しかないし、発音は格段に楽だった。
勉強の合間に、ラオさんは東南アジアの人々は
日本や日本人をどうみているかという話を
よく語ってくれた(1981年時点)。
日本は超大国で、日本人は勤勉で、憧れの
対象だった。
「日本に学び、追いつくのが我々の夢だ」と、
眼をキラキラさせて語ってくれた。
ある日、
「ぼくと二人で、中国語と英語をいくら一所懸命に
学んでいても、おのずと限界がある。
あけるくんは、まだ若い。留学したらどうか?
君と同じ中学生が英語と中国語を自由に操る国は、
世界にシンガポールと香港しかない。
ただし、香港は標準語の北京語ではなく、方言の
広東語を話すし、第一治安がよくない。
ぼくの母国のシンガポールに留学したらどうか?」
早速、この話を自宅に持ち帰った。
<続く>