2010年01月31日記
「日本はアジアに生きる国_PART9」
ぼくは、13歳のとき(1981年)、父親のアドバイスで、
シンガポールにおける自身の留学先(学校)を
単身で探しにきていた。
チャイニーズYMCAにチェックインした直後、
ロビーにいると、アフリカ人の船乗りに
声をかけられた。
シンガポールは、アジア有数の中継港で、
途上国の船乗りがここに宿泊していた。
日本とはどんな国なのかを身振り、手振りで
一所懸命説明した。
みんな酒を飲んでいて、「日本人と会えて
うれしい!」と言って、ぼくにキスをしたり、抱きしめたりした。
同性から初めてされるキスと抱擁が
アフリカ人からとは、人生とは本当に
予測不可能なものだ。
ベッドに入った。
そのとたん、ベッドのウラに潜んでいた
蚊の大群に襲われた。
「安い宿だからしようがない」とあきらめて、
闘いながら、一夜を過ごした。
翌朝、タクシーを拾って、教育省(日本の
文部科学省)に向かった。
<続く>